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うつ病の症状、治療、診断と薬、名医、うつの克服
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〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法
デビッド・D.バーンズ /David D. Burns
星和書店 刊
発売日 2004-04-27



認知療法の不滅の書 2007-03-14
認知療法について書かれた書籍です。有名な書籍です。

うつ病には薬物治療が効果的です。しかし、一連の薬物の効果は、罹患者をサポートするところまでです。根本的な、精神的な苦しさは解決されません。

認知のゆがみ、換言すると物事の感じ方や考え方が精神的な苦痛をともなう形態、を修正していかなければ、苦しみからの脱却は難しいと思います。

小生は身をもってそのことを感じています。




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マンガ境界性人格障害&躁うつ病REMIX 日々奮闘している方々へ。マイペースで行こう!マンガ境界性人格障害&躁うつ病REMIX 日々奮闘している方々へ。マイペースで行こう!
たなか みる
星和書店 刊
発売日 2006-06-20



とてもわかりやすく凄い本だとおもいました。 2007-01-02
私が分りやすいと思ったのは、なんといってもマンガで書いていてくれたからです。

精神関係の本では、文章ばかりでとてもしんどく、読めませんでした。

しかしこの方、たなかみるさんの本はいままでの本とは違って

マンガも入ってわかりやすく「あっ!」わたしもこんな事がととても参考になる本でした。

ボーダーの抑ウツ状態の時って本読めないですけど、たなかみるさんの本

うつ状態の私が初めて頭の中にカタカナでスーッと入った本でした。

自分の病気と前向きにしていこうと、たなかみるさんの気持ちも伝わってきました。

私も、うつ病.ボーダー逃げ出したい時もありますが、私にとって

励みになる本でした。これからも本書いてください。たなかみるさん、ありがとうございます。

つけくわえて、マンガが書いてあるからって、軽い乗りではありません。

読もうとしている方、本当にわかりやすく気持ちの伝わる本です。


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【特別情報】
『うつ病を経験した”先輩たち”から
生きる知恵をもらおう!』
熊木徹夫
「臨床感覚の広場」
アウトライン紹介バージョン
最近いただくメルマガ読者からいただくメールで、
とりわけ数の多いもの、
それは”うつからのサバイバル法”についての
問い合わせです。
最初は、それについて、
私から何らかの回答を書いて、
それをe-book にしてみようか、
と考えていたのですが、
2つの難問にぶちあたりました。
それは以下のようなものです。
1:どうやらそれぞれの方々が、
極めて多様な症状の経過を指して、
”うつ”と呼び習わしているようであること。
2:具体例を提示しないと、
あまり説得力のある話ができないであろうこと。
そこで、はたと思い当たりました。
読者の方々で、”うつ”を経験されている方は、
かなりの数に上るだろう。
その方々に直接、自らの体験について
語ってもらえるならば、
大層有益な情報の集積が
可能になるのではないか、と。
ということで、今回
「私のうつからの脱却法および付き合い方
(うつの体験)」というテーマで、
アンケートをとらせていただき、
それをe-book に纏め上げようと
いうことになりました。
ただしその際、配慮せねばならないこと。
いわば精神医学的に
「うつ」と規定されるものに限らず、
患者さん(ここでは、読者さん)が
自らの症状について
”うつ”と自己規定したものであれば、
すべからく取り上げなくてはならないということ。
実はこれは、とても重要なことです。
というのも、医学的な「うつ」は
当事者にはなかなか認知されにくいのです。
自らが”うつ”だと見切って、
精神科医の診察を受けて
やはり「うつ」だと診断された人はまだいいのです。

しかし、自ら”うつ”だと規定していたものが、
精神科医に「うつ」と承認されなくて、
結局医療から見放されてしまったケースもあります。
(今回の「うつの体験」でも、
このようなケースは枚挙にいとまがありません)
その当事者の抱える悩み・苦しみの
”正体”はわからぬまま、
棚上げにされてしまい、
それらがますます内攻していく。
このようなジレンマにあえぐケースが、
現実にはあまりに多いのです。

このような患者さんが本当に知りたいのは、
書店にある「うつの治し方」といったような
一般的・精神医学的な「うつ」についての
解説ではなく、
ほかならぬ私自身の持つ
この”うつ”の解消法・克服法なのです!
そのためには、
これまで自らが規定した固有の”うつ”を、
七転八倒しながら超克してきた人々の、
その実体験の語りこそが必要となるのです。

このような人々の口からじきじきに、
自らの人生のなかで積み重ねてきた体験が
語られるということ自体、まったく稀有なことです。
それは以下の理由によります。
1:書籍で扱うには、
あまりに学問的裏付けがなさすぎる。

体験のかたちがあまりに多様で、
一般化・普遍化できない。
(では、学問的で、一般化・普遍化できるものしか
価値がないでしょうか?
決してそうでないことは、
皆さんにはわかっていただけるでしょう)
2:実際に「うつ」(あるいは”うつ”)を
患った人々を
探し出してくること自体、不可能である。
また、たとえ見つけ出したとしても、
そのような人々が、
出版社のために赤裸々な語りを
してくれるということは、考えがたい。

(メルマガ「公開悩み相談」および
「精神科薬物の<官能的評価>」
の趣旨に深く賛同して、
この”コミュニティ”への
参加協力していただける読者さんという
心強い存在がいる状況だからこそ、
このような語りの集積が、はじめて可能になるのです)
そして実際に、集まってきた体験集を見た私の感想。
まずその量に圧倒されました。
そして、その言葉一つひとつの重みにも。
恐らくは、これまで誰にも語らず、
こころのうちに秘められてきたものなのでしょう。

それは語るまいと頑なに口を閉ざしてきた
結果なのか、
はたまた語ったところで
誰にも分かってはもらえまいとの諦めゆえか。
しかし、私からの呼びかけに応じ、
”語るほどのものではないですが”と
やや口ごもりながらも、
ようやく開かれた口から流れ出た言葉の切実さを、
私たちはどう受けとめればよいのか。
やはり、これまで各人のこころのうちで
煩悶が繰り返されてきたであろうその過程に、
思いを馳せないわけにはいかないのです。
ここで、本情報の中の、ある一人の方の体験を
例として挙げてみたいと思います。
このような体験、このような人生が“26”、
詰まっています。
1::「”何があっても大丈夫”という夫の言葉で・・・」
(michi さん)
こんにちは。
どういった経路でこのメールが届いたのかは不明ですが、
実際、今自分のブログには「自分がうつ病である」と
記しています。
そう。
今現在うつ病と闘っています。
歳は29 歳。性別は女。
性格は、神経質(そこまでひどくはないですが)で、
そこそこ真面目かとは思います。
思い込みは激しいところはあって、人見知りをする
(人から見ると絶対見えないといわれますが、
そういうふうに努めているところも無きにしも非ずです)
性格です。

私のうつ病は「引っ越しうつ病」というもので、
周りの大きな環境の変化から来るものです。
「引っ越し」と付くからには、引っ越してきたわけでして、
3 月、バリバリの店長として最前線で(?)
働いていた職場を泣く泣く辞め(F県)、
結婚のためK県へとやってきました。
F県はもともと実家ではなく
(実家は九州の別の県)、
就職のために住んでいた土地なのですが、
なぜK県はダメだったのかというと
「Fはよく遊びに行っていた土地だったため、
結構知り尽くしていた。
県民もごった煮だった。
K県は未開の地で、来たことも4-5 回ほど。
方言がきつく聞こえ、いつも怒られているように感じる」
今思えば、方言のキツさを感じるところから、
もううつ病が始まっていたのかもしれません。
5 月末までは、引っ越しの荷物の片付けや、役場、
気を張った家事炊事などで忙しい日々だったのですが、
だんだん慣れてくるとすることもなくなり、
暇に感じる時間がすごく多くなり、
家事炊事意外は、寝るかパソコンに向かうか
という生活になって行きました。
また、結婚に関しての地元のしきたり等を、
義理母から言われ始め、
「長男の嫁なんだから」と言われたのが
引き金になったのかもしれません
(断っておきますが、義理母とは
仲は良い方かと思います)。
変に感じ始めたのは、6 月の頭ごろから。
心の真ん中に重たいしこりのような、
もやもやした塊のようなものがずっととれず、
寝ると束縛されるような夢を見、はっと目が覚める、
またウトウトし始めると、
酔っ払ったようにぐる~~っと目が回り、
また嫌な夢に引き込まれる、というような繰り返しでした。

そのうち、昼間一人でいるときは
何かと気を張ってるので大丈夫なのですが、
夫が帰ってくると甘えてしまい、
毎日毎晩のように泣きじゃくります。
内容としては「F県に帰りたい」
「自分のせいで物事が上手くいかないんだ」
「私がいるから、夫が両親と喧嘩ばかりする」など、
「自分のせいで」と思うことが多かったです。
夫が「帰らないで」というと、
今度はどこにも身動きできない自分が呪わしくて
「消えてしまいたい。死んでしまえばいいんだ。」と思い込み、
それも出来ずにいるとそれがまた悲しくなってきます。
うとうとと寝始めると、
自然に死ぬ場所を探していたりする自分が怖く、
何度震えて目が覚めたでしょう。
寝入ると自分が知らぬ間に死んでるんじゃないかと思い、
何度睡魔と闘ったことでしょう。
あまりにもひどくなったので、結果、
夫に連れられて精神科に行くことになりました。

結果は先に書いたとおりでした。
ただ、私はまだ「不眠」や「お金の心配」などがないため、
軽症ですぐに治るでしょうとのこと、
逆に、精神科に行ったことで、少し気持ちもやわらぎ、
またもらったお薬(パキシル10mg./アビリット100・・・
夕方過ぎから症状が出るので晩御飯後1 回各1 錠)のおかげで
その日以来泣く事もなくなり、
数日後にはテレビを観て笑えるほどまでに回復しました。
気がついたら、心の奥にあった吐き気にも似た蟠りも溶け、
すっと楽になり緊張感も解けた様に思えます。

でも、まだまだ薬は服用中で、
服用してから2 週間目に突入します。
うつ病は、本当に周りの人からの理解が必要です。
特に結婚している人は、姑、小姑さんには
きちんと説明しておかないと、
ますます自分を追い込むきっかけになってしまいます。
なぜなら何にもしたくなくなるから。
ただ怠けているだけ、と言う風に思われがちです。
特に「頑張れ」なんて言葉は本当に辛い言葉です。
「何があっても大丈夫。」
夫のこの言葉にすごく助けられた気がします。
今も生活の内容は特に変わりませんが、
毎日一日1 時間はエクササイズの時間をとって、
目いっぱい汗を流しています。
周りに目が向けられるようになってきたら、
意外にもすることが沢山あったので、
一つ一つそれを出来るペースでこなしていこうと
思っています。

これは余談ですが、7 月の半ばに結婚式があるので、
それに向かって治療している最中です。
こんな文面で役に立つかどうか判りませんが、
不明な点があればメールでもいただければと思います。
少しでも世の中のうつ病患者の人が楽になれますように。
これはもはや「うつの体験」などという
限局的な語りではなく、
まさにそれぞれの人生の語りとでもいうべきもの。
この体験に直面化するとき、
「うつ病の治し方」などという規定が、
いかに訴求力のないものであるか、
痛感されるのではないでしょうか。
私はこのような貴重な語りを
後世に伝承する役目を担えることについて、
誇りや喜びを感じると同時に、
この語りの前で粛然と襟を正さねばなりません。
願わくば、この語りが今実際に”うつ”で苦しむ方、
これから”うつ”になるかもしれない方、
および家族や知り合いが
”うつ”で苦しんでいる方のもとに
届きますように。

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 ●わたしの父親は、統合失調症です‥。

 ●母親は、躁うつ病です‥。

 ●弟は、うつ病です‥。

 ●そして、義弟(妹の夫)もうつ病です‥。


わたしは、離婚が成立するまでの1年余り、別居期間がありました。

 いろいろ考え、その時の仕事に見切りをつけました。


 新しい仕事も決まり、初出社が待ち遠しい位、人生の再スタートに
 夢と希望を抱いていました。

 「よっしゃぁぁぁ~~~頑張るぞぉぉぉ~~~‥。」と、意気込んでいた矢先に、
 母親のうつ病が発覚しました。

 わたしは、同居していたにも関わらず、全く気づかなかったのです。


 その頃、弟は東京、妹は大分で生活していました。

 妹は、母との電話のやり取りで、精神的に不安定だと気づいていたようです。

 わたしに連絡もなしに、突然、妹が帰ってきました。

 その時、妹はすでに結婚をし、1才の男の子がいました。


 母が、妹の顔を見たとたんに壊れました。

 まるで頭の中で、火山が爆発するように‥。

 そこには、わたしの知る気丈で強い母の姿はありませんでした。

 妹は、母を抱きしめ号泣するばかりで、わたしは、ただ、呆然とし、
 なす術がありませんでした。

 その時のわたしは、状況が飲み込めず、パニックになりましたが、
 「ただ、大変なことになっている‥。」とだけは、理解できました。

 母は、何ヶ月もの間、自分の精神状態と戦い続けていたのです。

 言葉では言い表せないほど、つらかったと思います。

 母がうつ病と診断された後、決まっていた仕事もお断りして、8ヶ月余り
 介護に専念することになるのですが、本当に大変でした。

 24時間体制で、介護したこともありました。

 どの位大変かは、実際に介護を経験した方でないと、解らないと思います。

そして、母の介護生活を終え、しばらく経ったある日、自宅に1通のはがきが
 届きました。

 見てみると、家庭裁判所から届いた離婚調停の通知でした‥。

 やっと介護生活を終え、一息つき、心機一転、「仕事を頑張るぞぉぉぉ~~‥。 」
 と、気合を入れていたら、今度は、離婚問題が‥。


 わたし自身、41年間の人生の中で奈落の底を、2回、経験しました。

 妹も精神的に不安定になったことは、何度もありました。

 病気にかかっている本人が、一番、つらいのは言うまでもありませんが、
 見守る家族も本当に大変なんです‥。

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